= うちのアニキを買ったわけ =

 最初にうちのアニキと出会ったのはインターネットのオークションだった。さえない顔してしょんぼりしている姿を気にしつつも毎日のように見つめていると、なんだかすでに自分の車のような気がして思わず落札。今思い起こしても、そのときの記憶が薄い。就職活動そっちのけで稼いだバイトの給料が入金され、どうやら気が大きくなっていたようだった。

 アニキは昭和38年(1963)、まだ日本が高度経済成長を迎えるちょっと前に生まれた。名前は320。当時の日産ブルーバードのトラックバージョンとして登場した。日産が誇る当時のベストセラーで、この小さなトラックは海外にも輸出され、その実績は世界的にも広く認知された。そんな生い立ちのうちのアニキも現役を退きはや十年。民家の片隅でただひたすら僕をじっと待ち続けたためにすっかり足腰を弱くしたアニキは、ブレーキとクラッチが固着してエンジンも不動という。しかし車体はほぼフルオリジナルで錆も少なく、書類は当然、ナンバーまでも残っているという。専門家に言わせれば部品は出にくいだろうが、互換部品を流用すれば路上復帰も遅くはないという。

 その後、和歌山まで車の状態を確かめに行ったものの、欠品は左のミラーとテールレンズだけ。みたところ錆と言っても塗装が剥がれているところにさびが浮いているくらいで、腐っているというほどのものでは決してない。ただボンネットを開けると妙に茶色い。ちょっとしたカルチャーショックに軽いめまいをもよおしたが、大丈夫。それにしても先は長そうだ。それにしてもナンバーの「和4」が光る。これはアニキが書類上は現役であることのあかし。動かなくなってもなお、陸運局には登録されて納税義務は果たされていたことを示す。

 ここへ来て新しい発見もあった。320トラックといえば、キャビンと荷台が完全に別構造になっているものが多く存在するが、うちのアニキはつながっている。N320という型式で、輸出仕様のNL320はスポーツピックと呼ばれていたレアものらしい。情報についても、国内での販売に関するものは今のところない。もちろん僕以外のオーナーも。レアという言葉を聞いて素直に喜んではいたが、その言葉が意味する真の苦労をそのときの僕は知る由もなかった・・・。

 

 
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